寡黙な発想屋。ナガマツです。
今日、胃腸炎で学校を休んでいた娘が登校しました。
日曜日の夕食時、お腹が痛い、ご飯、食べられない・・・と、言い出し、早めに寝かし様子を見ることにしましたが、祭日だった月曜も食欲なく、少し微熱があり、少しでも食べられるものをと、栄養ゼリーを買って食べさせてみたところ、しばらくしたら吐いてしまいました。
翌日、学校を休ませて病院に連れて行ったところ、多分、胃腸炎だろう、流行っているのでこれ以上また悪くなるようなら連れてきてください、と、薬を渡されました。
本人は食欲がないこと以外はいたって元気で、テレビが見たいとか絵本が読みたいとか遊びたいとか。
寝てなさい!と言われても フラフラ、ウロウロ、で、疲れて床でゴロゴロ。
普段は私には別腹がある!と、豪語している、プリンやヨーグルトでさえ、今はいらないと手をつけない。
40度近い熱があるときでも、食欲だけはあった娘が口にものが入らないとなると、これは、ものすご~~く心配。
例え、40度超える熱があろうと、でかい腫れ物ができようと、食事をしてくれさえしてくれれば安心できる。大丈夫だと思える。しかし、食べないということは一気に世界を暗黒に包みこみ、空気はズン!と、重くなる。
食べて、蓄え、出す。こんな単純な営みがあらゆる宇宙を作っているのだと、そう思いました。
食事には最大限気を使っている妻も献立で頭抱え、仕事帰りの私にお使い頼み、ショッピングセンターをあっちこっち走り回りました。
で、ようやく、今朝は出された朝食も平らげ、お代わりまでして、元気に学校へ向かったのです。
食べることは身体を育むだけではなく、心も時間も世界も健全なものにするものなのだとつくづく思いました。食の力は多分愛情そのものなのでしょう。お弁当を世に送り出している自分としては身の引き締まる思いになりました。
元気に登校していく娘を見ながら、食べることは生きること、生きることはたべること、食べる事こそ命の根幹何だと、改めて感じた娘の胃腸炎でした。